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コミュニケーション・スタンダード

  タグをつける携帯アプリが、その頃流行っていた。
 
 携帯電話のカメラをかざし、そこに映るものに、付箋を貼るように、ぺたっと「言葉」を貼ることのできるウェブサービスを、ある会社が始めたのだった。
 みんないろんな言葉をつけた。近所のバス停留所に「駅には行かないよ」、居酒屋の看板に「次回もよろしく」。コミュニケーションツールとして開発されたらしいその機能を使って、みんなぺたぺたと言葉を貼った。もちろん、役に立つことも立たないことも含めて。携帯カメラをかざせば、誰でも、貼られた言葉を見ることができた。


 夏が終わる、海岸沿いには、ばーっと「ケンジとの初キス」だの「ユミコ愛してるよ」だの、携帯画面に入りきらないくらいの言葉であふれていた。
 かざしていた携帯を下ろすと、秋空に少し冷たい潮風、寄せては返す波が砂浜に泡立つ。ただ、秋の海岸沿いだ。無数の、人々のつぶやきは見えない。
 
 仕事を辞めて暇だった僕は、昼間からぶらぶらと出歩いていた。職安でひとしきりパソコンをいじって、今日もダメだな、公園のベンチに座ってタバコを吸う。携帯の無料アプリで花札を遊ぶ。
 一連の行動、いつの間にか日課になっていた。
 そして、昼過ぎにこの公園をいつも横切る、OL制服の女の子を待つ。コンビニの袋をぶら下げて、歩き去る。いつもいる僕に、目が合うと必ずこくりと首をかしげるように挨拶をしてくれる。今日も彼女はしゃきっと歩いていく。かわいい。こういうの、大事だよね。こちらも会釈を返す。ここまでが日課だった。

 
 しゃきしゃきと歩く彼女に、ある日携帯カメラをかざしてみた。
「昨日ありがと、また合コン幹事よろしくね」「前髪作ったんだね、似合ってる」「今日もかわいいね」
 ぺたぺた、誰かが貼りつけた言葉が見える。それに混じって「また媚売ってんの?」「ブス」「靴ダッサ」などの、決して好意的とは言えないタグも見え隠れする。
 NGワードに設定すれば、同一アドレスからの貼りつけは回避できるのだが、このOLちゃんは気付いているのかいないのか、ぺらぺらと褒め言葉と罵詈雑言をくっつけて、僕の前を通り過ぎる。目が合う。にこり、と笑ってくれる。ぐっと上がった唇の端から、銀歯がきらりとこぼれる。同時に、「←シルバー(笑)」のタグが見える。 人気者は大変だな、と思った。

 
 タグつけ遊びは流行を続けた。好意の言葉も、その逆も、エスカレートし続けた。
 バス停留所には「駅にいくなら公園前で乗り換え」「遅えよグズ」「廃線しろ」、居酒屋には「思い出のお店」「バイトの加藤殺す」「ビールぬるい」。びっしりとタグが付いて、どこもかしこも、夏の終わりに見た海岸沿いのようだ。
 アプリを呼び出し、携帯の画面を通すと、もう言葉しか映らない。携帯を下ろすときちんとバス停、居酒屋。誰かの言葉はたちまち隠れる。
 落ち葉がかさりと肩に触れた。OLちゃんも、いつの間にか上着を羽織って公園を横切るようになっている。襟を立てて、それでも笑顔。目元がふっくらと盛り上がり、銀歯の見える口を隠して、一瞬の挨拶は続いた。


 ものにも場所にも人にも、タグは貼られ続けた。そのへんの石ころをかざしても、誰かの、何かの思いがぶわっと読み取れる。
 「石」「花崗岩?」「殺す」「マリコ」
 もはや完全にそのものと無関係な、少なくとも第三者である僕には全く理解できないタグがべたべたと貼られ、さすがに気持ち悪くなって携帯をポケットにしまった。ベンチに長時間座るのもつらい。OLちゃんが来たら帰ろう、と決めてジャケットのジッパーを顎まで引き上げた。
 
 冬になっていた。職安通いも滞りがちになり、公園に行く回数も自然と減っていた。
 その日は職安には行かず、真っ先に公園に来ていた。午前中から昼過ぎ、OLちゃんの姿を一目見ようと、ただそれだけの理由でベンチに座った。
 彼女を見たかっただけだ。日課の一部を確認して、リズムを取り戻そうと思ったのだ。
 二時三時、OLちゃんは来なかった。もしかしたら、が重なって、夕方までベンチに座っていた。タバコも尽きて、缶コーヒーを買って、手のひらで転がしながら待った。

 街灯がじじ、と音を立てて光りはじめた。冬のはじめでも、日が暮れるとすでに息が白い。暇を持て余して、携帯を取り出した。もう数か月、誰からの着信も新着メールもない。ただの、アプリで遊ぶだけのゲーム機だ。タグつけ遊びのアプリを取り出し、なんとなしに携帯カメラを自分にかざした。ぱしゃり、とフラッシュ付きで撮影。眩しさに目の奥が痛い。しぱしぱさせながら、画面を見る。
 
 ぎょっとした。
 
 画面には、力のない僕の顔が写っている。振り返って見る、ベンチの背もたれ、街灯の脚、落ち葉、遊具の向こうに公園の門、続く道の奥に信号。
 携帯を見返す。僕の顔、それ以外の、背景にはびっしりとタグ。僕にとってはどうでもいい言葉の羅列が、がさがさと触れ合う音すら聞こえるくらいにぎっしり写っている。
 跳ね起きるようにベンチから、公衆トイレに走った。切れかけた薄暗い蛍光灯の下、鏡に僕の顔。後ろには、並んだ小便器。恐る恐る、鏡に携帯をかざす、やはり僕以外、小便器やその奥の配管にまで、鏡文字でタグ。さかさまの言葉が見える。僕には、タグが見当たらない。

 トイレを飛び出し、歩きまわりながら携帯を至る所にかざしてみた。信号、電信柱、アパート、居酒屋、コンビニ。
 それでもやはり、言葉は写りこむ。僕をもう一度、カメラで撮ってみる。画面の背景には言葉。浮いて、僕の、さっきより蒼白になった顔。

 駅のコンビニ前で座り込んだ。へなへな。何だこれ。自分の携帯には写らない仕様? そんなことないだろ、自分にだけ見えないならどうやってNGすんだよ、何だよこれ。ぽつぽつと行き交う人々を携帯で見る。みんなが言葉を貼り付けて歩いている。

 バグだきっと、と自分に言い聞かせる。携帯、最新機種ってわけじゃないし、きっとそうだ。バグだバグ、僕にだけ見えないんだ。

 言い聞かせながら、うすうす思っていた。
 
 仕事辞めて、もうどれくらいだ? 誰とも連絡しないで、もうどれくらい経つ? 僕は誰と、何と関係がある?

 うずくまって、ひざを抱えてコンビニのゴミ箱の脇に座った。石ころのように、っていうか石ころにもタグついてたじゃん。石ころ以下か、僕。

 うずくまる、道路の側溝からドブの臭気が這いあがってくる。息をとめて、ジャケットの袖で口を押さえた、瞬間に、こんばんは、と声が降った。「大丈夫ですか?」

 OLちゃんだった。笑顔はなく、コートを羽織って僕を見下ろす。髪をかきあげて心配そうに僕の目線にしゃがむ。
「公園に、いつもいらっしゃる方ですよね?」
 突然のことに、OLちゃんの顔が見られない。ドブ臭さを放つ側溝に視線を。はい、と押しつけた腕に向かって答えた。OLちゃんは臭いに構わず笑う。銀歯が見える。「最近いなかったから、何かあったのかなって思ってました」
 いきましょ、と僕の肩をたたく、OLちゃんが立ち上がり、僕も釣られて腰を上げた。

 駅の待合室で、少しだけ話した。きょうは遅番で昼間もコンビニ行けなくって、という一言から始まった会話は、完全に舞い上がって、何を話したか忘れた。久々の会話、ぼやぼやと何か言うたびに、がんばって、みたいに励まされただけだったような。
「また今度、ちゃんと話しましょうね」
 快速が到着するタイミングで彼女はまた僕の肩を叩いて、またね、としゃきしゃき改札に消えた。

 帰りながら、もう一度自分を携帯で撮った。路地に映る言葉。睨んだような目つきの僕。その肩。

「あ」

 気付かなかった、ぴらっと一枚だけ、タグ。

 立ち止まり、拡大してみる。誰が貼ったかわからない、どんな思いで貼ったのかもわからない、僕への言葉だ。

『こんにちは』

 一言だけ、そう読めた。

Comment

こんにちは!!
  • いぬち
  • 2009.09.26 09:45
うわあああああお!
もうなにも言いますまい!
すごくよかったです。
  • のりたま@動物の皮あったけえ
  • 2009.09.26 17:55
おもしろいですね。本当にこんな世の中がくるのかこないのか。
  • まいなす
  • 2009.09.26 19:34





 

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